interviewインタビュー

2023.02.01
江渕に聞く管理職の仕事「管理職はとてもクリエイティブな仕事」前編
今回は新任管理職研修で講師として登壇している、アビリティーセンター企業研修グループの江渕に、管理職の仕事、新任管理職研修の必要性について聞きました。前編・後編のシリーズでお送りします。
江渕 泰子 プロフィール:
サイコム・ブレインズ株式会社 シニア・コンサルタント、講師
アビリティーセンター株式会社 企業研修グループ リーダー
アビリティーセンター(株)年間登壇数、常にトップ。弊社の企業研修事業全般のマネジメントも行っている。パートナー講師や教育機関とのパイプも太く、顧客企業のあらゆる研修ニーズにお応えしたいと、日々奮闘している。
管理職になってつきつけられた現実、30代で経験したこと
-江渕さん、本日はよろしくお願いします。
江渕:よろしくお願いします。
-まずは経歴から教えてもらえますか。
江渕:現在は、アビリティグループの企業研修グループの責任者として、アビリティーセンター研修事業全般のマネジメント及び講師をしています。新しいプログラムを探索したり、社外の提携先とのコミュニケーションを取りながら企業様のニーズに応えています。
あわせて、弊社の提携先の東京の専門研修会社であるサイコム・ブレインズ(株)のシニア・コンサルタント及び講師です。
元々は理系で愛媛大学工学部の応用化学の大学院卒です。直近では兵庫県立大学の社会科学研究科でMBAを取得しました。「理系と文系、両方の大学院を出ています」というユニークな経歴です。
最初の大学院では、化学工学が専攻です。修士論文のテーマが排水処理に関わる研究で、最初にエンジニアリング会社に就職し、粉体プラントのコンサルティング営業をしていました。そのため、特に製造業のお客様からは、「現場の事が理解出来る講師」として重宝していただくことがあります。操業オペレーターの方がどんな苦労をされているか、現場でどんなトラブルがありそれを解決するにはどれほど苦労されているか、を理解した上で、改善するために管理職の方を育成することに対しては、私自身も非常にやりがいを感じています。
その後、アビリティーセンター(株)に入社しました。弊社では、最初は、人材派遣の営業担当でした。30歳を過ぎてすぐに管理職になりまして、新居浜オフィス、松山オフィスの責任者を経て、営業部全体のマネジメントや事業開発、そして現在に至ります。
管理職になったばかりの頃は、本当にダメダメで、とにかく勢いと気合と根性だけでやってましたので、管理職になったばかりの頃、30代は非常に苦労をしました。ですので、研修の場では、その頃の体験を昇華すると言いますか、その頃の部下の方に申し訳ない想いをどうにか払拭したいという気持ちで臨んでいます(笑)。
-申し訳なさの払拭なんですね(笑)。
江渕:プレイヤーとマネージャーの違いも知らずに管理職になってしまったので、もちろん部下とのコミュニケーションは全然上手くいかないですし、「営業で成績トップなので責任者できるでしょ」と思われて管理職になった人が、どんな悲惨な目に遭うか(笑)ということは、身に染みて分かっています。
また、受講者の方々で、製造業の方もいらっしゃいます。実は、私、新入社員の頃は、ヘルメットをかぶって、作業着を着て、安全靴を履いて、現場に営業にいっていました。研修に来てくださるような課長さん方が本当に優しく仕事のイロハを教えて下さったので、現場の方に対しては恩返しをするような気持ちで向き合っています。その方たちの大変さに寄り添って、お役に立ちたいという気持ちで、「知識のインプット大事ですよ」ということも伝えながら、実務に活用するところまでを学びとって欲しいと思っています。
-恩返しの気持ちがあるんですね。管理職には30歳でなったと言っていましたか。
江渕:はい。30歳で出産をしているのですが、2月に出産をして、産後3ヶ月の5月の連休明けに復帰して、 7月に管理職になって下さいと言われたんですね。
-出産後すぐだったんですね!
江渕:はい、それから20年が経って今に至っています。
なぜ管理職になったかというと、当時は会社の組織もまだ小さい時で、産休を取っている間に業績も少し下向きになっていたので、復帰を待って「お願いね」と上司に言われた形でした。印象的な言葉だったのが、「当番制だから」と言われたことです(笑)。
-当番制ですか(笑)。
江渕:「女性の方は管理職になりたがらない」という話がありますが、おそらく上司の言い方の問題もあるんじゃないでしょうか。私は「当番制だから」という絶妙な言葉で言われました。私の真面目な性格を見透かされてたと思うのですが、「当番制だったら『はい』って言わないといけない」となったんですね。
当時は時間外や休日労働のことも気にしてもらえない時代だったので、「子供が小さいんですが大丈夫ですか」と一応聞いたのですが、「大丈夫」と言われたので引き受けました。
手探りの中、転機となった研修受講
江渕:管理職にはなったものの気持ちも意識も変わらないまま、自分が売上を上げるにはどうしたら良いかということしか考えていなかったです。数字は、そこそこ上がるんですが、退職者が出たり、「私以外誰も働いていないじゃん。」という状況になっていました。今、考えてみたら、その時のメンバーの方、働きようがないですよね、上司の指示がないので。
そんな状況になった時に、当時の社長に、研修に連れ出されました。その先生の第一声が非常に強烈で、「あなたの課題は何ですか」と聞かれたんです。これが、私の管理職としての勉強の始まりです。その時は目の前のことしか見えていなかったので、「私こんなに頑張って何も悪いことしてないのに、課題って?」と思いまして(笑)。
-ちなみに何の研修だったんですか。
江渕:メンタリングの研修です。20年前なので、コーチングやメンタリングがまだあまり一般企業の研修になってない時代ですね。メンタリングなので、知識系の研修受ける前に、その人の個人の課題にフォーカスしていく、と言う研修をいきなり受けてしまったので、驚きでした。
新任管理職研修にいらっしゃる方も、多かれ少なかれプレイングマネージャーにもなっていなくて、まだプレイヤーという方がいらっしゃいます。その気持ちはとってもよく分かるし、頑張られていることに関しては非常にリスペクトしています。研修を受けることによって、管理職として頑張れるようになって欲しいなと常に思っています。
私自身の経験としては、一番多い時は部下が50名程でした。毎年新入社員さんが入ってきた時期もあります。おそらく、最初の10年ぐらいは、毎年新入社員が入ってきて、私がOJTをしていました。
-リーダーがOJTをしていたんですね。
江渕:まだ会社の規模も小さかったですからね。その後は営業部長を4年やって、企業研修グループに移りました。全体のマネジメントを経て、専門チームのマネジメントにうつっています。
今は、マネジメントと呼んでいいのか分からないのですが、社内よりも社外のステークホルダーの方、パートナー講師の方や大学の先生方、専門会社の方との関りが深いです。
「ここで働いて良かったな」と思ってもらえるようにしたい
-管理職になった初めは、全然だめだったと言っていましたが、苦労したエピソードはありますか。
江渕:一番強烈だったのは、20人弱のオフィスで契約社員さんが5-6人いたんですが、契約更新の時に全員辞めたということがありました。「そんなことになってしまうんだ」とショックを受けました。
-それは辛いですね。今振り返ると何が原因だったと思いますか。
江渕:正直なことを言うと、ご本人の適性もあったと思うのですが、最近思うのは、例えそうだったとしても、辞めた時に「ここで働いて良かったな」という気持ちを持っていって欲しいということです。当時はその考えがなかったですね。その当時の「辞めたい。」というのは、そこの職場で働いても、何のメリットも提供できてなかったからだと思っています。
その後も、右腕のような人が、仕事がハードすぎるという理由で何人か辞めています。その時に感じたことなのですが、次が決まって辞めた人は心から良かったなと思うし、次がなくて辞めた人には、本当に申し訳ないなという気持ちになりますね。「ただ辞める」というのだけは嫌ですね。
-江渕さんでもマネジメントのことで落ち込むことはあったんですか。
江渕:めちゃくちゃありますよ(笑)。
何かの分析で気付いたんですが、「前言ってたことと違うじゃないですか」とか「言っていることに整合性がない」「論理性がない」と言われるのがすごく嫌なんです。
-落ち込んだときはどうするんですか。
江渕:本当にぐちゃぐちゃになってわからなくなったら、泳ぐというのはあります(笑)。(江渕は学生時代は競泳選手、今もマスターズの大会に毎年出場している)
頭の酸素を薄くしながら考えるのが丁度良いんですね。あとは、水泳の平井監督の著書を読む。水泳のことに置き換えて考えるとすごく分かりやすいんですね。
-面白いですね。
江渕:「わからなくなったら水泳に戻る」ことで、どうにか自分を保っています。
あとは、メンターの存在ですね。なぜか常にいるんですね、やたら気にかけてお話も聞いてくれる方が。研修では自分がそういう存在になれたらいいなぁと思っています。
自分が貢献できることに気付いて変わった
-20年管理職をしている中で、掴んできたなとか、変わったなという時はありましたか。
江渕:(初めに管理職をしていた)新居浜オフィスでは叩き上げで、全部知ってます状況だったので、マネジメントするというよりは言い負かす(笑)に近い状態だったんですね。それから「松山オフィスのマネジメントをして下さい」と転勤した時が、人生で一番嫌でした。
「営業がしたいだけなのに」というのが抜けてなくて、でも管理職なので営業の担当が持てる訳でもなく。全然知らない人たちと、知らない市場で、判断しながら数字を作っていくというのがとにかく嫌で、何の手応えもないしやりがいが感じられない状態でした。
その時に、「営業研修をやりませんか」と鳥居先生※が来たんです。あの時に、鳥居先生が来てなかったら、会社を辞めていたと思いますね。
※サイコム・ブレインズ社創業者であり、本新任管理職研修のプログラム発案者である鳥居 勝幸先生
お客様から来たオーダーが営業経験のある講師だったので、「営業経験あるって言ったら誰なの?」と社長に聞かれ「私です」と答えたところ、講師になりたいというのも全然なかったのですが、講師デビューすることになりました。
-その時、管理職としてはどういう気持ちの変化というか、ポジティブに変わったんですか。
江渕:自分が貢献できることが、教育をすることなんだなと気づいたことですね。
当時社内研修も多く、社外研修も増えてきて、研修講師として関わるという関わり方が、管理職の行う部下育成に近いのかなと思いました。自分のやることが見つかったって感じですね。
また、お客様の研修ニーズに関しては、コンサルタントとして出ていくというポジションを得たので、やり易くなったように思います。「コンサルタントというやり方でお客さんと向き合えばいいんだ」ということですね。それが上司同行の意味だったりするじゃないですか。上位者の方に対して上位課題をコンサルすれば、部下への営業の指導になりますよね。それからは、すごく楽しい仕事になっています。正直管理するというよりは、営業部の機能の一部になりきる感じですね。
-対部下の関係性で変化はありましたか。
江渕:松山オフィスのリーダーの頃が、自分が一番コンディションよく楽しくできた時代で、(部下との関係も)すごく良かったんだと思います。
当時は、私が赴任する前は、組織が全く出来ておらず、みんなが色んな方向を向いていた時でした。なので、営業面で頼りになる上司が来た、というのがすごくはまったんだと思います。営業のやり方であればいくらでも教えられますという感じです。あわせて、きちんと管理するのが好きな人が部下にいたというのもありますね。組み合わせも大事ですね。
-教育という視点が入ったところから変わったんですかね。
江渕:そうかもしれないですね。「人を管理して貢献する」っていうのはどうもイメージがつかなくて。ただ、部下や後輩が営業担当者としてお客さんに認められるにはどういう資料を作ったらいいんだろうか、ということを一つ一つ考えるのは凄く好きなので、それでよければいくらでもアイディアもあるし出来ますよという。
メールの書き方、電話のかけ方、アポの取り方、提案資料の作り方とか、OJTに近いですね。
偶然ながら研修講師の機会を得たことで、「私の話って社外でも成り立つんだ」という驚きもありました。社外で研修講師をすることによって、社内にも認められるというのもありますよね。自分にとってもそういう切り口ができたことが良かったのかなと思います。
松山のリーダーを次の方に交代する時に、皆さんからメッセージをいただきました。松山オフィスの初代リーダーは今の会長なんですが、あるベテランさんが「私が上司として認めたのは社長(今の会長)と江渕さんだけです」と書いて下さって、それはとても嬉しかったです。
-そういう時に「良かったんだな」と思いますよね。
江渕:松山オフィスのリーダーを経て本社の部門の所属になりました。その時に、現場から離れていくということに焦りました。当時の私のメンターの一人、愛媛大学の研究室の恩師に「現場から離れる気がして、すごく嫌なんですけど」と相談したら、先生から「君がそうやって現場を離れるということは、間接部門とか本社に近いところで仕事をすることによって、あなたがいることで助かる人が増えるから、今よりももっと貢献できるってことじゃない」と言われました。
マネジメントってそういうことかもしれないと思い、マネジメントというものを体得した感覚を持ちました。
-良い言葉ですね。管理職は、視点を変えないといけないんですよね。
江渕:それが難しいし、なかなかできそうでできないですよね。
インタビューは後編に続きます。